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田中 裕二(たなか ゆうじ、1965年1月10日 - )は、日本の漫才師、お笑いタレント、エッセイスト、俳優。東京都中野区鷺宮出身。血液型はB型。芸能プロダクションはタイタン所属。太田光との漫才コンビ「爆笑問題」のツッコミ、リーダー担当。身長は154cm[1]。中野区立第八中学校、東京都立井草高等学校卒業、日本大学藝術学部中退。
目次 [非表示] 1 来歴 2 人物 3 エピソード 4 田中と競馬 4.1 第67回皐月賞大万馬券的中騒動 5 主な出演作 5.1 映画 5.2 ドラマ 5.3 バラエティ 5.4 人形劇 6 著書 7 外部リンク 8 脚注・出典 来歴 [編集] 高校時代、相方・太田とは対照的に人気者であり、“ミスター井草”にも選ばれたこともあった[2]。この頃に「ウーチャカ」という愛称が付き、「ウーチャカ大放送」という校内ラジオ放送のパーソナリティをやっていた。因みに「ウーチャカ」とは最初のあだ名「裕くん」から子音を取って「ウー君」となり、「ウー君」がパンを食べている所を見た友達が「ウー君」がパンを食べているから「ウーパン」と呼んだことによって「ウーパン」と変化し、最終的に「ウーチャカ」に落ち着いたとされる。 この「ウーチャカ大放送」のテープを、爆笑問題結成初期の時代、自動車に乗るたびにカー・オーディオで太田に聞かせた。その内容は、2008年6月27日の「コンビ結成20周年記念」の『爆笑問題の検索ちゃん』にて放送され、ゲスト陣からは不評だった。 早稲田大学第二文学部も受験したが、受験日を1日間違えるという致命的な失敗を犯してしまった。その失敗の教訓を得てか、一浪を経て、日本大学芸術学部演劇学科に合格し(十数年後にテレビ番組で、本人は大学に落ちたものだとばかり思っていたと告白)、太田と出会う。日藝時代でも田中本人が「ウーチャカ」と呼んでくれるよう周囲に頼んでいたが、「小僧(先輩)」とも呼ばれていたという。因みに田中は早生まれで太田より1学年上になるが、一浪したため太田とは同級生となった。 日藝在籍時には、マキノ雅弘が主催していた私塾にも通っていた。 また、同時期に大学の先輩とお笑いコンビ「東京ギャグポンプ」を組んでTBSの昼の番組のレギュラーを持っていたが、売れずに2ヵ月弱で解散。当時の芸名は「白木屋みのる」で、ボケ担当。コンビ名・芸名を考案したのははらみつお。当時の相方は編集者(2006年時点)をしている[3]。 1988年3月に漫才コンビ「爆笑問題」を結成。コンビではリーダーを担当しているが、田中が自ら立候補したのではなく、太田が決めたものである。 2000年正月放映の『号外!!爆笑大問題』で、田中が事務所ビル1階の花屋に勤務する女性の自宅を訪れ、両親にあいさつしたと太田がバラし、メディアが一斉に扱った。同年3月24日に9歳年下の花屋勤務の女性と結婚。その後、二世帯住宅を建てた。 2000年9月12日に睾丸肥大のため、入院。同年10月9日に左側の睾丸摘出手術を受けた。なお、太田の後日談によれば、摘出した睾丸を病理解剖・研究したのが、向井万起男(慶應義塾病理医、宇宙飛行士・向井千秋の夫)だったとのこと。 2009年10月2日、自らの離婚を発表した。 離婚後、前妻が臨月に入っていることがニュースで報じられた(前妻と田中の間の子供ではないが、離婚成立後300日以内に出産することになるので法律上では田中が父親になる。詳細については離婚後300日問題を参照のこと) PR |
音楽鑑賞
学生時代から久保田利伸の大ファン。渡辺美里の『My Revolution』が最も好きな邦楽曲である。 熱帯魚 オールナイトニッポンの中でコーナーになるほど。 テレビ鑑賞(特にバラエティ) お笑い芸人であるため芸の勉強と言うこともあるが、好んでいろんなお笑い系の番組を観ている。 ラジオ番組リスナー 高校時代に大阪のFMラジオの番組に曲をリクエストして本名が読まれたことがある。 高校時代に「とんねるずのオールナイトニッポン」のリスナーであった。ネタハガキも投稿していたが、一回も読まれたことがなかった。ペンネームは「ビーンとこけし」後にこのペンネームは自身が担当しているラジオ番組の「ナインティナインのオールナイトニッポン」で番組本「ナインティナインのオールナイトニッ本」に掲載するネタを募集するコーナー名として使用された。1994年9月14日に放送された特番でとんねるずが岡村も今回の放送を聞いているという話題から生放送のスタジオにタクシーで駆けつけ、一言だけ「はい」と発して見学している。 芸能人になってからも自身がファンである「渡辺美里のオールナイトニッポン」にプライベートで投稿しており、2010年4月29日放送でFAXでの投稿が読まれている。 性格 人見知りする性格で収録ではそれを感じさせないほどのハイテンションで臨むため、カメラが回っている時(アッパー)とそれ以外(ダウナー)との落差が非常に大きく、その差を他の芸人からネタにされることがある。海外生活のため、そのことを知らなかった大橋巨泉から「お前(収録前と)全然性格が違うなぁ」とからかわれた時は必死に否定していた。岡村とTBSの番組で共演していた渡辺満里奈が、古舘伊知郎の番組にて岡村の印象について聞かれた際、「楽屋での岡村君は……フランクに話しかけられる雰囲気ではないですね、(テレビでの岡村君とは違う?)ええ、全然違いますね」と苦笑いで発言していた。 近年では「最近は社交的になってきている[4]」「20代は心のシャッターを閉めてたんですけど、(30代になってからは)ビックリするような人とゴルフ行ったりするし、いろんな人と食事するようになった[5]」と語るなど、交友の幅を広げている。 また後輩芸人思いである。岡村がロケ中に、売れていない頃の我が家の杉山とすれ違った際に、杉山を発見して後にコッソリと「これで何か食べ」と言って1000円を渡したエピソードを杉山がブレイク後に出演した99プラスで話した。(岡村はその当時杉山の名前は分からなかったものの芸人だということは知っていた) |
趣味・嗜好
ダンス 中学生時代はマイケル・ジャクソンに憧れてブレイクダンスを始め、大阪の「Angel Dust Breakers」に所属し、梅田阪急ナビオ前で毎夜練習に明け暮れて関西2位になる。当時は今のような短髪ではなく、茶色くした長髪で「キッド」の愛称で呼ばれていた。『めちゃ×2イケてるッ!』の企画やキリンビバレッジ・NUDAのCM、応援ゲストとして出演した第57回NHK紅白歌合戦等で、切れ味の鋭いダンスを披露している。 漫画 一定期間ごとにハマってはラジオで熱弁している。知り合いから借りるなどしてまとめ読みするタイプで、新刊を継続的に買う事は無いという。 模型作り 小さいころから模型を作ることが趣味で戦車のプラモデルでジオラマを作っていた。田宮の模型小冊子に投稿したこともある。小学生の頃にブームになったいわゆるガンプラ直撃世代であり、ラジオ番組で中村俊介と一度ガンプラ討論をしたことがあった。ガンダムシリーズの中では第1作の「機動戦士ガンダム」のみに興味を示しており、それ以降の作品については「わからない」とのことである。 釣り 父の影響で始めた。『ぐるナイ』で趣味の釣りをテーマとした企画を年に数回放送している。芸人仲間と共に東京湾に船で夜釣りに出かける。 ゴルフ 2005年に『めちゃイケ』の企画で行われた横峯さくらとのゴルフ対決以降、プライベートでもよくゴルフをしている。また、平尾昌晃チャリティゴルフから招待状が届いたが、結局参加はしなかった。 沖縄旅行・スキューバダイビング 沖縄によく足を運んでおり、大好きな土地としている。沖縄でスキューバダイビングをすることが多い。近年ではまとまった休日がある度に、沖縄でスキューバを楽しんでいる。その頻度があまりにも多いため、『めちゃイケ』で沖縄禁止令が出されたがその後も沖縄に渡っている。同時期にサーフィン、モデルガン、クワガタ飼育にもハマったことがあるが、こちらは長続きはしてない模様。また、沖縄のことについては、ガレッジセールのゴリとやり取りをする仲である。 テレビゲーム ジャンルを問わず、幅広くプレイしている。ラジオで『ときめきメモリアル』、『パラッパラッパー』また『バイオハザードシリーズ』は短期コーナーを作るほどハマっていた。ただし、ゲームを仕事にする事は大嫌いなようでオールナイトニッポンで度々ゲームセンターCXを「座ってゲームするだけで何億も儲けやがって」「仕事でゲームするだけなら誰だってできる」等(この直後、「クリアした達成感に感動すら覚えるんです」と弁護する大量の苦情が来て「ブログやってたら炎上してたやろな」と返す)と批判している。 |